世は時につれ

窓から眺める時代と世相

団塊の昭和 2 - 少子高齢化

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人口(ピラミッド→きのこ雲→かめかん)

 

団塊人口の多さは、やはり際立っている。

1947(s.22)年から1949(s.24)年、この3年間の各年に270万人ほど生まれ、総計で800万人ほどの塊である。
(現在の出生数は1年で90万人しかいないのだから、その差に愕然とする。)

戦後ベビーブームはアメリカにもあったとのことで、こちらは10年近くも(1965年まで)続いたらしい。戦勝国で、国土も広大だから、パワーが違う。その後の「アメリカの時代」の原動力にもなった。

日本は敗戦国で焼け野原になったが、もちまえの復興魂と解放感でベビーブームになったのだろう。でも復興途上で国土も狭く、不相応に増えすぎたのか、中絶法を作って国が抑え込んだようである。(それまでこの法律がなかったのだ。でもこの法律は、問題ももたらした。)

そのあとは潮が引くように、毎年20万くらい減っていく。
一時、団塊の孫の世代が増えたときがあった(第二次ベビーブーム;上の真ん中のグラフの、2番目の出っ張り)。このときはまだ高度経済成長の名残もあったのだ。
だがその後は一貫して出生数は下がっていく。経済成長が止まり、子供の養育費が増大してきたこともある。
そしてバブルがはじけ、停滞の時代になり、あれよあれよと「少子高齢化」に突入だ。

いまはどこの国も少子高齢化なのだが、日本の速度は世界トップらしい(西欧は1世紀以上もかけている)。上の一番目のグラフのように、初めは安定したピラミッド型だったのに、間もなく2番目のように、不気味なキノコ雲型となり、やがて最後の、いかにも不安定で倒れそうな壺型(かめかんみたいだ)になっていく。「人口ピラミッド」という言葉はもうふさわしくない。

少子化については、あの手この手でいろいろ試みるが、なかなか子供が増えない。 ― もしうまくいって増加に転じたとしても、赤ちゃんが大人になるには20年かかるのだ!
で、いちばんの妙案は、数字をいじることだ(官公庁の得意とするところです。)
高齢者」の定義を変えてしまえばいいのだ。60歳→65歳→70歳、とずらしていく。
ちびちびとやって気持ちを慣らし、ある時に5年くらい、ドンとやる。
これはうまくいっている。(ついでに「子供」を18歳に前倒す。)

じっさい、今の「老人」は昔と比べてだいぶ若い。見た目もだが、体力も寿命も確かに延びている。10年以上は若返っているのではないか。昔は驚異だった100歳も珍しくない。やたら元気な老人があちこち増えている気がする。

これは幸福な現実であり、いくら霞が関が数字の操作や改竄に習熟しても、それででっちあげることはできない。でも国は、この幸福な流れを寿ぐように、定年、年金、医療費、消費税などなど、お金を絞って集める手続きは抜かりない。「人生100年時代!」という標語はさらなる布石なのではなかろうか。

平成は静かに終わり、令和が始まって、昭和はいよいよ遠くなった。
団塊世代は名実ともに高齢者だ。
のんびり隠居で締めたいと思ったら、少子高齢化や景気停滞やら、温暖化や地震やら、
おまけに新型コロナやらも加わって、なかなか容易ならぬ感じだ。
でも「人生100年時代」からすれば、70代が前期、80代が中期、90代が後期となり、
第二の人生が始まったばかりで、まだ道のりは長いではないか(すみません)。

 

 

団塊の昭和 1  ― いい時代だった

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団塊の世代である。

小さく努力するが自分本位で空気を読まない、というタイプが多いらしい(私もか)。
この世代はあまり好かれないと聞く。
やたら人数が多かったからだろう。兄弟も多く、戦後で生活に余裕もなかった。
小学校入学は「55年体制」が始まったころで、1クラスもほぼ55人体制だった。
中学も高校もすし詰めで、教室の最後尾は壁にもたれて、うらやましがられた)。
受験でも就職でも、とにかく競争することが求められた。
そういうわけで、育ちがあまり良くないのだ。

でもそれは、今のように生活も豊かになり、少人数で大切にされる現世代と比べれば、ということにすぎない。いつの世代にも、それなりのよしあし、運不運があるだろう。 ほんのちょっと前の、戦争に青春を奪われた世代は本当に不運だ。
席取りの混雑など、どうってことない。

私には「昭和」はとてもいい時代だった。同世代の多くもそう思ってるのではないか。
ひとくくりにされるのを嫌うふりをするが、「団塊」とされ、嬉しそうにに開き直る。
青年の頃、実存主義というのが流行った。自分流(自分本位)を貫いて時代を越える、と粋がった。でもいくらか年をとってふりかえると、人の一回限りの人生は、ある国ある時代の、一回限りの舞台でしか演じられず、自由や選択の余地などあまりないと、
つくづく思うようになった。

気づいたら、青春までを過ごした昭和の風景はもうほとんど地上から姿を消していた。
あんまりきれいに消えてしまったので、少しはふりかえっておきたい気もある。
退職し、年金暮らしで、ヒマはある。おまけに、世界を襲ったこの感染症で、
好きな旅行もできなくなり、家に閉じこもる生活も当分続きそうだ。

〔続く〕

 

小春日和の土手

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まだ桜には早い時期だったが、小春日和となったのでドライブに。
普段走る道から逸れてみたら、小さな神社がある静かな一角を発見。
子供の頃に遊んだ昭和の田舎そのままの風景にタイムスリップしたかのよう。
川ぞいの土手の道を歩いて行くと、魚を釣っている友達に会いそうな気がする。
桜の蕾はまだ硬かった。
あと1週間もすれば花が開き、土筆がいっぱい出てくるだろう。

そう思っていたら、新型コロナで外出自粛。
見ないうちに花は散ってしまった。
今は新緑が芽吹いているだろう。
そのとき撮った写真を眺めて想像する。
どこにでもありそうな、こんなありふれた風景がいとおしい。